AnPonmanの 続ドナウ川流域ちゃりんこ旅31日間 (2010年6月1日~7月1日)

余談ながら・・・ コーヒーっちゅ〜のは、ウィーンを攻め落とせなんだオスマントルコの置土産でしてんな。5回目の海外自転車ひとり旅は、オリエントの入口ウィーンからドナウ流域を辿り黒海に至る約2000km。ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア・・・今旅は何カ国巡ったっちゅ〜より、トルコ色に染まるドナウ流域を"BikePack"でちょびっと冷やかしただけかもしれまへん。目標の黒海には運河沿いに近道したとしてもコンスタンツァまでが精一杯、ドナウデルタを船旅してウクライナ国境手前まで行くんは不可能やっちゅ〜心境でしたが・・・

1~2 June 2010... Osaka Airport >>> Istanbul Airport >>> Wien Airport >>> Budapest
1~2日目(曇り⇒雨) 関空発⇒イスタンブール乗継ぎ⇒ウィーン空港着⇒鉄道でブダペスト(南駅前高級ホテル宿泊)

6月1日(火)~2日(水)、にわか雨も上がり17時半に出発して南海本線各停で19時前に関空着、パニアバッグ2個の運搬には以前に拾得したコロコロキャリァが重宝(手荷物検査時に廃棄処分)。一昨日に持ち込んだ自転車と共にトルコ航空カウンタでチェックイン、パニアひとつを加えた輪行袋の重量は22.5kgでしたが、同航空では自転車輸送費は重量に関係なく90ユーロ(約10440円也)。当時のユーロのレートは115.76円也、行列の先頭に並んだのは生まれて初めてでゆっくりウンコしたりしながら時間つぶし(笑)。

23時前に関空を離陸。なんや1日損したよ〜な気がしますけど、ウィーン到着が午前中っちゅ〜のは大助かりやおまへんか。そ〜でんねん、今旅は不安のタネがてんこ盛り、旅行代理店HISは帰国数日前に空の便を再予約せ〜っちゅ〜し、初日と最終日のホテルも世話してくれまへなんだ。再予約の件は関空で大丈夫やとゆ〜てくれたもんの、内戦から20年の旧ユーゴなんか通って生きて帰れるんかいな? おまけになんぞ病気にでもなったかと思うほど最悪の体調・・・ひと席空いた機内で横になることがでけただけでも不幸中の幸い?

4時半にイスタンブール着、乗継ぎ時間が最も短いはずのトルコ航空は、時差?が1時間加わって3時間半近くも待たされ、乗継いだ飛行機はガラガラのまま雨のウィーン空港に8時40分到着。入国審査後自転車を引き取ってその場で組み立てた頃には10時、探し回ったエレベータを降りウィーンミッテ駅行きに乗車。車内で改札のね〜やんに12ユーロ(約1390円也)支払い、国鉄の場所を教わったもんの小雨の中を右往左往、なんとかブダペストまでの切符(46ユーロ=約5335円也)を買えたと思たら・・・道中3回も乗り換えがあるやおまへんか!

疲れも忘れて、聞〜て聞〜て尋ねまくった約5時間半の鉄道旅でしたが、快適なオーストリア国鉄はスロヴァキアには入らずハンガリーのジュールへ。待ち時間が50分おましたさかい都心をちょびっとだけ観光、ホームの階段登り降りはパニアを外してリュックも背負い、自転車と荷物双方を目の届く範囲内に残して行ったり来たり(笑)。売店ではユーロが使えましたさかい食料や飲料水を調達。幸いにも乗り換えは入口の1番ホームでしたが、来日経験のあるおっさんが声をかけてきて初のメル友をゲット。

3つ目の乗り換え駅コマロムはさらに貧相で高い陸橋があるやおまへんか・・・。呆然としてたら駅長のおばはんが線路を渡らせてくれましたけど、旧共産圏の国鉄でこ〜ゆ〜配慮は例外中の例外と考えといたほ〜がよろしおま(笑)。町からは離れてましたさかい周辺散策は断念、暇つぶしに陸橋に登ってみたらでんな・・・なんとなんと目の前にドナウが流れてるやおまへんか! ウィーンでも再会でけまへなんださかい今旅初っちゅ〜わけで、対岸は前旅でも1泊したことのあるスロヴァキアのコマルノでしてんな。

車窓から眺める田園風景には水たまりが目立ち何日も雨が降り続いた様子、この路線は楽しみなドナウ大曲がりを通らんまま17時40分ブダペスト南駅に到着(距離約300km也)。ここでも無情の雨・・・ビールを飲みながら小雨になるまで待って、19時に駅前のホテルにチェックイン(バストイレ付き85ユーロ=約9860円也)。以前のパック旅行で阪急交通社がくれた豆ガイドブックが役に立ちましたが、7階の窓から王宮の丘を眺めながら長い長い初日によ〜やく終止符。漕いだ距離約1km也。(上の絵写真はブダペスト王宮の丘の夕景)

ハンガリーについて・・・
面積約93000平方km(日本の約4分の1)、人口約1000万人。公用語はマジャール語で、まいどお〜きにはヨナポチュ・クスヌム。通貨は約270Ft=フォリントが1ユーロ(約116円也)。スロヴァキアとの国境を越えたら有名なドゥナ・カニャール(ドナウ大曲り)、西から東へと流れてきたドナウ川は直角に折れ曲がって南に進路を変え、ハンガリーのど真ん中を貫通して流れて行きよりまんねん。英語の国名は先住民族"フン"にちなんだよ〜で現在住んでるのはマジャール人。欧州でアジア系言語を持つ国のひとつで名前は姓・名の順で書きまんのやそ〜な。

9世紀の終わり頃にこの地を征服したのがアジア系の騎馬民族マジャール人、古都エステルゴムで初代の王イシュトヴァーン一世がローマ法王から戴冠したのが1001年。以来この都は、13世紀半ばのモンゴル人侵入まで約240年間ハンガリーの首都でおました。その後も都をブダに移してさらに繁栄を極めたハンガリー帝国、マーチャーシュの時代にはボヘミア(チェコ)王も兼ねてウィーンをも占領。しかし1526年、南端モハーチュの激戦で大敗してから約150年間トルコの支配下に入りまんねんな。

3 June 2010... Budapest >>> Dunaujvaros >>> Dunafoldvar
3日目(薄曇り無風) ブダペスト南駅⇒鉄道でDunaujvaros(発音不能)⇒ドゥナフォルドヴァル(モーテル泊)

6月3日(木)も絶望的曇天のうえ体もダルい・・・。朝風呂にも入り朝食時に弁当もこしらえて11時半チェックアウト「何? 朝食代15ユーロ(約1740円也)払え? なんでやねん?」なんや詐欺に遭〜たよ〜な気分やおまへんか。以後これに懲りた私はもっともっと執拗に内容を再確認するよ〜改善。ドナウの女王ブダペストに未練は残るもんの、小雨がパラついてきよりましたさかい南駅から鉄道で先を急ぐことに。自転車道マップを見せてDunaujvaros行きの切符を購入(8ユーロ=約930円也)。

ハンガリーではドイツやオーストリアのよ〜にスケジュール表をくれまへんさかい、何番ホームからいつ発車してどこに停車するんやら謎のままだ(汗)。へたに自分で判断せんとみんなに尋ねてみるもんで、おばはんから前の車両に乗らな途中で切り離しになると注意されました。12時55分発で14時半着(距離約90km也)、数km戻った場所から渡し船で左岸に渡れるはずが迷走また迷走。よ〜やく辿り着いたのりばでは渡し船廃止やおまへんか・・・ハンガリー人はなんで一番肝腎なことを教えてくれへんねん?

くたびれ儲けの後はバイパス5号線を一目散、途中でYHの表示を見つけて寄り道してみたもんの、酒場にたむろするおっさんらとはスーパートンチンカン。話がはずんで結局そこで2時間も道草、ビールをおごられ折鶴教室も開いて楽し〜時間を過ごせましたが、別れ際に「セルビアは内戦直後でみんな貧し〜から用心せ〜!」との警告。さらに走ってドゥナフォルドヴァルのモーテルに宿泊(シャワートイレ付き23ユーロ×2=約5335円也)。漕いだ距離約35km也。

4 June 2010... Dunafoldvar 4日目(雨⇒曇り) ドゥナフォルドヴァル(モーテル連泊)

6月4日(金)も雨やおまへんか・・・。受付のに〜ちゃんによると自転車道マップの鉄道は廃線やそ〜で、カロチャまで行くんやったらバスがお薦め、明日はたぶん晴れるさかいも〜1泊するよ〜にとのアドバイス。11時頃には雨が止んだもんの道路はビチョビチョ、最も宿を見つけにくい花金でもあり彼のゆ〜と〜りも〜1泊して休息。モーテルとゆ〜てもドイツのガストホフのよ〜に宿泊もでけるレストラン、夕食には阪急交通社の豆ガイドから国民的料理のグヤーシュを注文。(上の絵写真はドゥナフォルドヴァルのシンボル的建造物)

5 June 2010... Dunafoldvar >>> Solt >>> Kalocsa >>> Baja >>> Mohacs >>> Bar
5日目(曇り⇒晴れ北東風) ドゥナフォルドヴァル⇒ソルト⇒カロチャ⇒バヤ⇒モハーチュ⇒バール(ペンション泊)

6月5日()は朝メシ抜きで6時前に出発。名前に"Duna"が付く町は全部ドナウ沿いにおまんねんな、まずは左岸に移り小町ソルトに至ったところで両輪に空気を補充。まだ空半分は曇ったままで、一旦田園地帯に出てしまうと5~10km雨宿りする場所さえおまへん。国道51号線を南下して8時15分カロチャに到着、途中のミニスーパーで買い込んだ食材でよ〜やく朝メシ。刺繍やパプリカで有名なこの町には入り方を間違えたか、或いは時間が早過ぎたか・・・もひとつ魅力が感じられんまま退散。

追い風で晴れたり曇ったりの自転車日和、午前中から半袖短パンでちょ〜どよろしおまっけど以南の国道はガタガタ、地平線まで見渡せるパンノニア大平原にはほとんど起伏がおまへん。一面田園地帯の作物は小麦にパプリカにヒマワリでっしゃろか? 11時、美町バヤの中央広場へはスムーズに至れて大満足、ここで1泊したいと考えたもんのあと約25kmで目標のペンション、途中の道路標識はわかりやすくロータリーの設計も見事で宿表示もあり安心。

おりょ、丘陵地帯の小町ドゥナファルヴァでは待てど暮らせど渡し船が来〜へん? 地元の人のゆ〜と〜り1時間待ちましてんけど、こ〜ゆ〜時に限って陽射しがキツイ・・・諦めて南端の町モハーチュまでさらに20km以上遠回り。ここでも渡し船に置き去りにされて酒場で時間つぶし、よ〜やく16時半に小村バールにある懐かしのペンションSISSY再訪。おりょりょ、自転車乗りがてんこ盛りやおまへんか! 彼らは4~5日かけてブダペストからペーチュを目指す20人近いグループでした。

今回は犬も吠えんと私を憶えてましてんな、ギリシャ系?巨乳巨尻美女の優し〜女将と、どっから見てもトルコ人?の陽気な大将は、私にもひと部屋工面してくれて広い食堂でグヤーシュと赤ワインの夕食。食後には美し〜ご婦人4人と少年ひとりを相手に折鶴教室、あとでもっぺんおっさんら数人を相手にしましたけど、理解度も仕上がりも今まで教えた中で最高やおまへんか! あのハンガリー人特有のえ〜加減さはどこでどないなってまんのやろ(笑)? 漕いだ距離約150km也。(上の絵写真は再訪した小村バールのペンション)

クロアチアについて・・・
面積約56540平方km、人口約450万人。公用語はクロアチア語で、まいどお〜きにはドバルダン・フヴァラ。通貨は約7Kn=クーナが1ユーロ(約116円也)。ユーゴスラヴィアは"南スラブ人の国"っちゅ〜意味で第一次大戦後に誕生、それまでの数世紀は神聖ローマ帝国とトルコ帝国に南北を分断して支配されてきましてんな。

クロアチアの場合、アドリア海沿岸はローマやヴェネチアの影響もあってややラテン気質、北部の首都ザグレブあたりにはハプスブルク家の香りを残しながら、南部はオスマントルコ色てんこ盛りっちゅ〜なんとも複雑な国やおまへんか。とゆ〜てもでんな・・・パック旅行で人気沸騰中のアドリア海沿岸とは大違い、ドナウが流れるのは"く"の字形の国土の北東端、セルビアとの国境線わずか140kmに過ぎまへんねん。

6 June 2010... Bar >>> Mohacs >>> (Border Inspection) >>> Osijek
6日目(日本晴れ南東風) バール⇒モハーチュ⇒(国境検問)⇒オシエク(ホテル泊)

6月6日()は昨夜飲み過ぎてちょびっと二日酔い・・・。ほんでまた今朝は日本晴れやおまへんか! まだ体調不安定でっさかいゆっくり休養するつもりが、9時からペーチュに向かう連中を見送るうちに気が変わり大慌てで身支度。10時発、ユーロとフォリントごちゃ混ぜで夕食と朝食及びシャワートイレ付き30ユーロ(約3480円也)? 大将はちょびっとまけてくれたよ〜で女将は弁当まで持たせてくれて、日本から持参した扇子をプレゼントしたもんのゆっくり話もできず心残り・・・

モハーチュを通り抜けて国境検問を通過、ここらへんまでは一昨年に下見完了で石畳の小峠は避けて国道E73号線を南下。そ〜でんねん、ハンガリーから先に自転車道があるわけやおまへん、ガイドマップにもレーンなしの狭い車道が指定されてるだけでおま。前方には小規模な山脈が見えて丘陵地帯には葡萄畑が出現、出会う車はハンガリーよりもちょびっと新し〜感じ? もちろん朝から半袖短パン、南東風は時々向かい風ですけど、頻繁に宿の道標も見かけまっさかい安心だ。

14時過ぎには市電が走る大きな町オシエクに到着。E73号線からは大回りでしたが、観光を兼ねて鉄道駅の場所などもチェックしてから、ど真ん中にあるゴシック教会横のホテルに16時前チェックイン。朝食及びシャワートイレ付き38ユーロ=約4410円也で、昼と夜はSISSYペンション女将の弁当で我慢(笑)。残念ながら眺めはさっぱりで、以後これに懲りた私は眺めの良さも宿泊条件に含めるよ〜改善。漕いだ距離約75km也。(上の絵写真はオシエクの街並みとドナウの支流ドラヴァ川)

7 June 2010... Osijek >>> Vukovar >>> Sarengrad >>> Ilok
7日目(日本晴れ) オシエク⇒ブコヴァル⇒サレングラード⇒イロック(川畔高級ホテル泊)

6月7日(月)、ロシアでも使用されるキリル文字はドナウ流域ではカトリックから正教圏内、つまりハンガリーからクロアチアに入った途端併記されまっさかいビビりま。まだなんとなく体がダルいもんの連日快眠快便、日本からの忘れもんもなさそ〜でなんら不便は感じまへん。但し、チェンオイルは残してきましたさかい、ハンガリーのペンションで注油し忘れたのが残念・・・。っちゅ〜わけで、朝食は質素ながら弁当も作れて8時15分に好天下を出発。自転車のおばはん4人組とは方向が逆で挨拶をかわしただけ・・・

町を流れる巾300m前後の川はドナウの支流ドラヴァ川。両岸とも綺麗に整備された河川公園を走り、その後は国道2号線をブコヴァルまで。地平線まで見渡せるパンノニア大平原が続き、幸いにして月曜日でも車は少なく大きゅ〜に迂回してくれま。10時半着、今旅ではブコヴァルが唯一内戦の傷跡を残す町やったかもしれまへん。その後は起伏が急増! 路肩のケシの群開は彼岸花を思い出すほど。追い越して行ったイタリア人とはアドレスを交換、なんと彼は本日中にノヴィ・サドまで走るつもりやとか。

ここまでドナウ川畔を走れる機会は僅かでしたが、サレングラードでは小峠を越えたら小町とドナウ川が出迎えてくれたやおまへんか。あと10数kmで国境でっさかい川畔の町に泊まりたかったのに、可愛〜女の子らに尋ねたらここには宿がないとの残念な答え・・・。さらに走って14時に国境の町イロック着、まずは検問所をチェックしてからドナウ川畔でゆっくり昼メシ、もっぺん丘上まで押し上げて城塞跡の観光と宿探し。15時半、再度川畔に戻ってホテル"Dunav"(朝食及びシャワートイレ付き42.5ユーロ=約4930円也)にチェックイン。

2階建てのペンション風ホテルはなかなかおしゃれ、後にも先にもこんだけドナウと親しめる宿っちゅ〜のはおまへなんだ。たった2泊のクロアチア、持ち合わせの通貨クーナはたぶん宿賃ユーロのおつりでっしゃろけど、全部使い切るために川畔の屋外レストランで軽い夕食。ウェイトレスのね〜やんは、なかなかそのことを理解してくれずスーパートンチンカン(笑)。国境付近の川巾は500~1000mで、対岸のセルビア側は大規模な森林河川公園の様相。漕いだ距離約85km也。(上の絵写真は国境の町イロック。ドナウ川を渡るとそこはセルビア)

セルビアについて・・・
面積約88360平方km、人口約750万人。公用語はセルビア語で、まいどお〜きにはクロアチアと同様ドバルダン・フヴァラ。通貨はちょ〜ど100Din=ディナルが1ユーロ(約116円也)で、わかりやすいうえコインが少ないのも旅行者には大助かり。14世紀の半ばバルカン半島に侵攻したオスマントルコは、その後およそ500年間バルカンの民を支配することになりまんねんな。さらに15世紀半ばには、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルも陥落させて1000年の栄華を封印。

17世紀末にハンガリーが解放された後もトルコのバルカン支配は200年続き、第一次大戦後に独立したユーゴスラヴィアでは、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字が対立しましたんやそ〜な。ドナウは旧ユーゴのご本家セルビアの北部を横断(領内約360kmとルーマニアとの国境約230km)しまんねんけど、首都ベオグラードで合流するサヴァ川を結んだ流域以北は、ハンガリー人がぎょ〜さん住む穀倉地帯ヴォイヴォディナ自治州。

8 June 2010... Ilok >>> (Border Inspection) >>> Novi Sad(Petrovaradin)
8日目(日本晴れ南東風) イロック⇒(国境検問)⇒ノヴィ・サド⇒ペトロヴァラディン(城塞高級ホテル泊)

6月8日(火)、飛行機の中で着てたトレーナと、ひょっとして必要かと考えたバスタオルは廃棄処分、寒いことおまへんさかいシャワーの前後に洗濯もできま。8時半に出発してあっさり出国、橋上でもっぺんドナウを眺めてからロシア正教の国へ突入、入国手続きは5分ぐらいで終了。しばらくすると涙が溢れてきて走ってられしまへん・・・いや、べつに感動したわけやなしに排ガスが目にしみて(笑)。道は悪いわ車は多いわ・・・マナーのほ〜もドイツから遠ざかるほど日本に似てくるやおまへんか。

国境の丘陵地帯を抜けると再び大平原、南方には山脈が現れたもんのこれまでのところ羊や牛の放牧は見かけまへん。ほんでから、ドナウのほ〜は国境の手前から再び東へと流れを変えてセルビアへ。自転車道マップのコースは、第2都市でヴォイヴォディナ自治州の州都でもあるノヴィ・サドまで2種類。ローマ時代からの要衝には有名なペトロヴァラディン城塞がおまんのやそ〜で、私はそれを対岸から眺めるために左岸の国道7号線を選択しましてん。車以外の不安はおまへなんだけど、ドナウとも離れてちょびっと退屈な道のり。

市内には約20kmの川畔自転車道が整備されており城塞へのアプローチは見事。観光案内所のに〜ちゃんも親切で、鉄道駅やホステル(15ユーロ)の場所を教わったもんの、ここやベオグラードなどにも停泊するはずの船に関する情報は得られまへなんだ。左岸川畔にはホテルがおまへんさかい城塞を眺めることは諦めて、橋を渡り対岸の町ペトロヴァラディンへ。石畳の道を丘頂まで押し上げて格調高い城塞ホテルに13時45分チェックイン。値段もかなりのもんで、朝食及びシャワートイレ付き77ユーロ(約8930円也)。

城塞はハプスブルク家が18世紀に約40年かかって築いたんやそ〜で、ここから眺める美しく青きドナウには大満足(ほんまはドブ鼠色ですけど)。夕食は屋外展望レストランで、阪急交通社の豆ガイドからムツカリツァ(チキンのトマト煮込み)を注文。スーパーリッチな気分がちょびっとだけ味わえた優雅な1日でおましたが、給仕の好青年は私が財布ごと相手に渡してしまうのを見かねて警告(笑)。漕いだ距離約45km也。(上の絵写真はノヴィ・サドを流れるドナウ川とペトロヴァラディン城塞)

9 June 2010... Novi Sad(Petrovaradin) >>> Beograd
9日目(日本晴れ夏日!) ペトロヴァラディン⇒鉄道でベオグラード(ホテル泊)

6月9日(水)は9時発、首都ベオグラードまでの約90kmは鉄道を利用することにして、石畳の坂道を歩いて下り車道の排ガスに閉口しながらペトロヴァラディン駅へ。なんとか探し当てた駅はハンガリーと同様に貧相・・・、ほんまに駅なんかど〜か尋ねた売店のおばはんはとても親切で、私を切符売り場まで案内して通訳もしてくれたやおまへんか。なんと料金は自転車込み3.5ユーロ(約405円也)の激安! この国の鉄道は遅れるのが常識なんやそ〜で、みんな文句も言わんと待ち続けて約30分遅れの10時20分発。

幸いにも地面からの乗り降りは、最後尾の狭い乗降口では不良少年2人が、降りるときにもおっさんが手助けしてくれて大助かり。車窓からの風景は単調なまま12時15分にベオグラード到着(距離約80km也)。観光案内所では要領を得んままフェリーのりばをチェック、聞き回った限りではドナウを下る船便は皆無やそ〜で、流域には鉄道もなく長距離旅はバスのみなんやとか。その後、青年カップルの背後を走ってたら川畔の自転車道はやがて水没・・・、彼らが教えてくれた車道に迂回して坂道を押し上げカレメグダン公園で弁当。

丘頂の城塞遺跡からの眺望はほぼ360度地平線! スロヴェニアから流れてくるサヴァ川がドナウに合流する地点でもあり、ノヴィ・サド同様最高級ホテルでこの景観を満喫するつもりが・・・ど〜ゆ〜わけか丘上や川畔にホテルがおまへんねんな。っちゅ〜わけで今旅初めて安宿を求めて右往左往。結局、市街南端にある聖サヴァ教会近くのホテルに17時チェックイン、朝食及びバストイレ付き35ユーロ(約4060円也)で風呂には大喜び! ホテルでは今旅初めて20ユーロを両替、それまでは宿賃のおつりだけでやりくりでけてましてんやろか?

聖サヴァ教会(ギリシャ正教では世界最大!)のあたりはややガラが悪いもんの、大通りに面した酒場でビールとエスニックなハンバーガの夕食。旧ユーゴの首都でもあったベオグラードにはも〜1泊して、紀元前4世紀からケルト⇒ローマ⇒フン⇒ブルガリア⇒ビザンチン⇒ハンガリー⇒ドイツ⇒トルコ⇒セルビア人に、次から次へと都の主が入れ変わった奥の深い魅力を探るべきでおました。漕いだ距離約5km也。(上の絵写真はドナウに合流するサヴァ川とベオグラード市街の眺望)

10 June 2010... Beograd >>> Smederevo >>> Pozarevac
10日目(日本晴れ夏日で南風強!) ベオグラード⇒スメデレヴォ⇒バスでポザレヴァツ(ホテル泊)

6月10日(木)、広いバスタブで朝風呂も楽しめたやおまへんか! 朝食も予想より豪華でしたが、どこでもパンが美味し〜のがセルビアの特長でっしゃろか。さいな、日程のおよそ3分の1が終わったもんのこれからがたいへん、今後ルーマニアの黒海沿岸都市コンスタンツァまで、1000km以上のドナウ流域に大きな都市は見当たりまへんさかい。9時発、約40km先のスメデレヴォまでは途中からドナウ川畔を走れそ〜でとりあえず自走してみまひょ。

まいどのことながら市内から出るのにひと苦労、振り返ったら赤い屋根の丘上集落がひじょ〜に綺麗でしたが、正午までに想定外の峠を3つも越えてバスに乗らんかったことを後悔。1kmほど押し上げた以外はなんとか乗り切ったもんの、下りでもブレーキがいらんほどの向かい風に苦しめられてかなり体力を消耗。13時15分にスメデレヴォ到着、貧しそ〜な小学生が10人前後集まってきてスーパートンチンカン、この日初めて気付きましたけどさいならは「チャオ!」でしてんな(笑)。

この町にも欧州最大規模の城塞があるはずが、丘上やなしに川端に広がる廃墟にはちょびっと拍子抜け。近くには鉄道駅もおましたさかい傍らの酒場で情報収集、ね〜やんはこの流域にも船や鉄道がないことを説明して、代わりに近くのバスターミナルを教えてくれました。最寄りのルーマニア国境まででも約70km、道はドナウを離れてしまいまっさかい自転車なんか漕いでられしまへん。自転車道マップを見せたところ、行ってくれそ〜な町は約30km東のポザレヴァツまで。

まだ1時間以上おまっさかい町の中心部をちょびっと観光、もっぺんスメデレヴォ城塞遺跡もちゃんと観てきました。のりばに戻って、マイクロバスに自転車が載る載らんで運ちゃんとひと悶着、通路でしっかり支えてるからと頼み込んで貸切りのままポザレヴァツに16時45分着。料金は4ユーロでしたが、ちょびっと気の毒でっさかい運ちゃんに2ユーロのチップ(合計約695円也)。いやはや・・・バス輪行してみて車道の自転車がどんだけ危険か思い知らされたやおまへんか。

ターミナル内の酒場で一杯やってると、巨漢の運ちゃんが話しかけてきて・・・おっさん仕事中に飲んどるやないか! さよか、今日はも〜運転しまへんねんな。ほな一杯おごりまひょっちゅ〜わけで、ここからバスでヴェリコ・グラディシュまで行けることも教わり、彼が自転車で案内してくれたのは朝食及びシャワートイレ付き18ユーロ(約2090円也)のホテル。思い出の美町ポザレヴァツの写真がWeb上で見つかれへんのがひじょ〜に残念。漕いだ距離約45km也。(上の絵写真はスメデレヴォの中央広場風景)

11 June 2010... Pozarevac >>> Veliko Gradiste >>> Golubac
11日目(日本晴れ南風強!) ポザレヴァツ⇒バスでヴェリコ・グラディシュ⇒ゴルバッツ(ホテル泊)

6月11日(金)、朝食はオムレツとパンと紅茶、昨夜飲み過ぎて食い過ぎてハラがへってまへんさかい弁当作りに専念。パプリカ料理はハンガリーだけやなさそ〜で肛門がヒリヒリ・・・、そろそろ丸1日休みたいもんの好天が続いて嬉し〜悲鳴でおま(笑)。バスターミナルでは英語を話すおっさんが友人の代わりに手助けしてくれました。料金は自転車込み4ユーロ(約465円也)、バスは約30kmを走って11時20分にヴェリコ・グラディシュ着。おりょりょ、横着してるうちにドナウ対岸はすでにルーマニアやおまへんか!

残念ながら、小さな町にしては立派な港にも渓谷を下る船便はおまへなんだ・・・。船に乗りたかったら、国境の小村ラムまで17kmほど引き返してルーマニアに入れといわれても半信半疑・・・、そんでもハンガリー人と比べたらセルビア人の情報ははるかに正確でっしゃろか(笑)? おりょ、久々に長距離旅の自転車仲間と遭遇して双方大喜び、ベルギー人のおっさんも黒海を目指してるっちゅ〜ことで不安げな表情でしたが、ど〜やら彼は自転車マップど〜り走るつもりのよ〜で尊敬以外におまへん。

水路は諦めて先に進むつもりが迷走して約10km無駄走り・・・、ゴルバッツまでは川沿いを走れるはずが国道25号線へ出てしもたやおまへんか。丘上の町村は平地よりはちょびっと豊かそ〜な感じでっしゃろか? 昨日と同様向かい風に苦しみながら峠を越えたら巨大な湖が! そ〜でんねん、ここゴルバッツはドナウ流域が丘陵地帯から渓谷に変わる場所で、川の出入口が隠れてしもてほんまに湖に見えまんねんな。中洲っちゅ〜より川中島を挟んで巾5km以上、東端にはローマ時代の遺跡ゴルバッツ要塞も遠望でけま。

14時半に到着して公園で弁当、15時には川畔のホテル(朝食及びシャワートイレ付き17ユーロ=約1970円也)にチェックイン。残念ながら、TVが不調でW杯開幕の様子は見れまへなんだが、木陰のバルコニーから雄大なドナウを眺めることがでけて大満足。4時半には夜が明けて暗なるのは21時頃、日中は陽射しのある室内では地獄ですけど、夕方からは気温も下がり窓を空けたまま寝ると冷えてしまいま。漕いだ距離約40km也。(上の絵写真はローマ時代の遺跡ゴルバッツ要塞と対岸のルーマニア)

12 June 2010... Golubac >>> Donji Milanovac
12日目(日本晴れ南東風) ゴルバッツ⇒ドニ・ミラノヴァツ(ホテル泊)

6月12日()、7時過ぎのレストランには数10人! 諦めかけた頃によ〜やくオムレツとパンと紅茶、弁当にはパンをちょびっと残せた程度。ホテルでは翌朝までパスポートを取り上げて鍵を渡すシステムで、セルビアの宿泊手続きが最も簡便かつスムーズでおました。が、頼りないね〜やんはユーロもクレジットカードもわかれへんっちゅ〜わけで、しょ〜がおまへんさかい通りに出て40ユーロ両替してきましたけど、キョロキョロする私を見てみんな親切に場所を教えてくれまんねんな。

9時前発、この町の観光案内所で尋ねても船便はおまへなんだ・・・。首都ベオグラードを過ぎても毎日楽し〜旅が続きますけど、ホテルから遠望したゴルバッツ要塞を通り抜けられまんねんな。これまでの雄大なパンノニア平原に終わりを告げて、対岸がルーマニア領に変わったドナウは約120kmトランシルヴァニアアルプスを横断。断崖に整備された道路は予想より良質で、もっと手前から国境を越えたら牧歌的なルーマニア側を走ることも可能でおま。ドナウは通常よりも水かさが少ないらしく、海水浴場のよ〜な砂浜があっちゃこっちゃ点在。

起伏は僅かで、緩やかな下り坂が多かったのに後半になって厳し〜峠、断崖を刳り貫いた短いトンネルがてんこ盛りで、前後のランプを点けて走っても中は真っ暗でひじょ〜に危険! 13時15分ドニ・ミラノヴァツに到着、急坂を丘上まで押し上げて眺めのえ〜ホテルに14時チェックイン(朝食及びシャワートイレ付き17.25ユーロ=約2000円也)。バーのTVで韓国対ギリシャを観戦後、レストランでは魚料理を注文してちょびっとリッチな気分。漕いだ距離約55km也。(上の絵写真はカザン渓谷を流れるドナウ川と断崖の車道)

ルーマニアについて・・・
面積約237500平方km、人口約2230万人。公用語はルーマニア語で、まいどお〜きにはブーナズィア・ムルツメスク(最後まで使えず)。通貨は約4Lei=レイが1ユーロ(約116円也)。欧州最大規模の"鉄門ダム"にある国境検問を通過したらルーマニア、ローマ人はかつてドナウ川全域を支配した唯一の民族ですけど、東欧でローマ人の血が今日まで受け継がれてるのはこの国だけなんやそ〜でおま。

ルーマニアを大別すると、ドナウ沿いのワラキア(南部)、モルダヴィア(東部)、トランシルヴァニア(中央から北西部)の3地方。もちろんこの国もトルコによる圧政時代を経験してまんねんけど、1881年の独立後もトランシルヴァニア地方はハプスブルク家の領土でしてんな。またなんべんかハンガリーの領土やったこともあり、スラブの海に浮かぶラテンの島といわれるルーマニアの歴史もそない単純やおまへん。*さらに情報追加!

13 June 2010... Donji Milanovac >>> (Border Inspection) >>> Orsova
13日目(濃霧⇒日本晴れ) ドニ・ミラノヴァツ⇒カザン渓谷⇒鉄門ダム(国境検問)⇒オルショヴァ(ホテル泊)

6月13日()、今朝はハンガリー南端以来の曇り空? 濃霧に覆われてドナウ対岸は見えしまへん。なんと7時の朝食は100人規模でしたやおまへんか! 8時半頃には霧も晴れて出発、受付のね〜やんはユーロとディナルごちゃ混ぜで支払わせてくれてラッピー。自転車に空気を補充、無風の車道は車も少なくベストコンディション! 対岸のルーマニア側には集落が見当たらず断崖の道路も消滅していよいよカザン渓谷も佳境! ここでよ〜やく大きな遊覧船を見かけましたが、たぶんありゃドイツかオーストリアから来訪してまんねんて。

おりょりょ、峠頂の展望所に200台のオートバイが集まってきたやおまへんか! 彼らは記念のTシャツと飲料水やおやつもくれましたが、お返しは折鶴と扇子だけでなんや申し訳ない気分でおました。どっからゆ〜てましたかな? 大所帯は3日ほどでベオグラードまで往復するんやそ〜でおま。国境の手前で弁当中、泉水を汲みに立ち寄った車の2組の夫婦はルーマニア人、折鶴のお礼にと蜂蜜漬けのケーキをご馳走してくれました。国境通過後、オルショヴァまで戻ったら観光船に乗れるかもしれんとのアドバイスも。

14時半、国境検問のある欧州最大規模の鉄門ダムに到着、威張り腐ったデブ女の「お前どこ行くねん? はよ答えんかいボケ〜!」はルーマニアのイメージダウン。自分が出会うほんの僅かな人間でその国の印象が変わってしまうもんでんな・・・「黒海は深いさかい気〜つけ〜!」他の職員はジョークで胡麻菓子てましたけど。工事中片側通行の劣悪な車道を15kmほどあと戻りしてオルショヴァへ、1件しかないホテルを探して15時半チェックイン(朝食及びシャワートイレ付き46ユーロ=約5335円也)。

ず〜っと気懸りやった時差?はここで1時間進めまんねんな! 夜明けが5時半頃になって日暮れは22時頃・・・それにしても1.5km巾のドナウ対岸セルビアとどこがちゃいまんねん(笑)? ほんで日曜日やのになんで観光船があれへんねん? ホテルの気安いに〜やんに「好きな値段をゆ〜てんか!」っちゅ〜わけで50ユーロ(約5800也)の釣り船をチャーター。上りは2時間下りは1時間、カザン渓谷のDecebalus Rexまでドナウを往復して彼にも10ユーロ(約1160也)のチップ。漕いだ距離約70km也。(上の絵写真はカザン渓谷の巨顔彫像Decebalus Rex)

14 June 2010... Orsova >>> Drobeta-Turnu Severin >>> Bucharest
14日目(曇り⇒日本晴れ南東風) オルショヴァ⇒ドロベタなんとか⇒鉄道でブカレスト(北駅前ホテル泊)

6月14日(月)、この時点で自転車道マップの縮尺が変化、見どころがないまま1頁の距離が倍になってしもたやおまへんか。昨夜は雨が降ったよ〜でエアコンがなかったら地獄でおました。蚊には食われるわ、そこらぢゅ〜の野良犬が夜通し吠えまくるわ・・・。9時発、受付のおばはんとはスーパートンチンカン、バスよりも鉄道を薦められたもんのブカレスト行きは16時半発。諦めて元来た道を逆戻り、工事は鉄門ダムより下流でも続き、排ガスと埃にうんざりしながら正午前にドロベタなんとかっちゅ〜町に到着。

ドナウを眺めながら走れるのもど〜やらここらへんまで、あとは100km走っても宿があるかど〜かの辺地ばっかりでっさかい、とりあえず鉄道でブカレストに辿り着いて作戦を練り直すことにしまひょ。おりょ? ここまでは道路も鉄道もドナウと並走してたのになんで駅=ガレまで行かれへんねん? 右往左往した後よ〜やくブカレストまでの切符(15ユーロ=約1740円也)を購入。まだ2時間以上おまっさかい旧市街をゆっくり観光してきましたが、この国の首都に向かう列車がなんでこないボロボロやねん・・・

14時20分発定刻発、自転車を最後尾の乗降口に縛りつけて自分は座席へ。地面から持ち上げるのは重労働ででしたがエアコンが効〜た車内は快適、片側に通路があって6人ずつ座れる個室タイプの車両やおまへんか。巨漢の車掌とは自転車代を払う払わんでひと悶着、日本び〜きのおっさんは「アルガトゴザマシタ!」と追加料金を免除(笑)。ドナウと離れた丘陵風景に時々寒村が目につく車窓風景、後半はいっぺんにダキア大平原が広がって羊や馬の放牧もぎょ〜さん。

貸切りで快適やった個室にも途中からは青年2人が同居。30分ほど遅れてブカレストに19時45分到着(距離約323km也)、駅前タクシーの運ちゃんらにコンスタンツァまで50ユーロ(約5800円也)で冷やかしてみたもんの不成立。その後すぐに目についた最寄りのホテルにチェックイン(朝食及びシャワートイレ付き30ユーロ=約3480円也)。おりょりょ、日本がカメルーンに勝ったやおまへんか! 漕いだ距離約30km也。(上の絵写真正面はブカレストの"国民の館"で米ペンタゴンに次ぐ床面積!)

15 June 2010... Bucharest >>> Constanta
15日目(日本晴れ) ブカレスト⇒鉄道でコンスタンツァ(臨海高級ホテル泊)

6月15日(火)は9時半発、娼婦が出入りするガラの悪いホテルも首都駅前としては激安、久々にマシな弁当が作れましたがど〜やら体のダルさも回復した模様。さいな、中日に帰国予定地に辿り着いてしもたやおまへんか! 黒海沿岸のコンスタンツァに向かうか、その前にブルガリアに入るかは迷うところで、結局コンスタンツァまでの切符(12.5ユーロ=約1450円也)を買〜たもんの4時間待ち・・・。こ〜ゆ〜時に自転車は重宝でんな、阪急交通社の豆ガイドのおかげで都心の情報量も倍増。なんちゅ〜たかてブカレストは建物がどデカイ!

この国では車道脇に駐車するのが常識のよ〜で、その間を自転車で走るのはひじょ〜に危険。旧共産党独裁政権の象徴"国民の館"はなんと米ペンタゴンに次ぐ床面積なんやとか・・・周辺では大規模なデモが行なわれてました。チシミジュウ公園湖畔の酒場で休息中には、傍らの老夫婦に空港の場所や距離について質問。トンチンカンながら話が弾んでビールやコーヒーまでご馳走になり、折ってみせた鶴には彼らの名前を日本語で書いてんかとの注文も。およそ1時間、荷物を積んだ自転車は目の届く範囲に鍵なしのままほったらかしてました。

列車は定刻14時発、ここでも最後尾の乗降口に縛りつけて車掌を説得するしかおまへなんだ。しかも、ね〜やんは自転車代(2.5ユーロ=約290円也)をしっかりと没収(笑)。今度の列車は普通の車両でエアコンもなし、車窓風景も退屈でしたがドナウを渡る長い鉄橋には感激。1895年、首都ブカレストと黒海の貿易港コンスタンツァを結ぶ鉄道が完成してまんねんな。交通の要所チョルナヴォーダには、15kmに及ぶ欧州最長の鉄橋がおまんのやそ〜で楽しみでしてんけど、残念ながらとてもそんだけの距離は体感でけまへなんだ。

また、チャウシェスク時代に完成した長さ約65kmの運河も通じており、鉄道は運河と並走しながら17時50分にコンスタンツァ到着(距離約225km也)。ここでも親切なに〜ちゃんが自転車降ろしを手伝〜てくれました。とりあえず沿岸に出て目標にしてきた黒海と初対面、そないゆ〜たらちょびっと暗い感じの海には海水浴客がてんこ盛り。あっちゃこっちゃ交渉して20時、海辺の眺めのえ〜ホテルにチェックイン(朝食及びシャワートイレ付き43ユーロ=約4990円也)。漕いだ距離約7.5km也。(上の絵写真はコンスタンツァのCazinoと黒海風景)

16 June 2010... Constanta >>> Baia
16日目(曇り北東風強!) コンスタンツァ⇒バイア(今旅最悪のボロ宿泊)

6月16日(水)、ハンガリー以来初めての曇天下を9時半発、それにしても半月で最終目標の黒海に辿り着いてもたやおまへんか・・・。自転車を預かってくれましたさかい頭上のロープウェイに試乗、延々続く砂浜には海水浴客がてんこ盛りで典型的な海のリゾートでんなここは。自転車道マップでは内海を囲う細長い陸路が楽しそ〜で、自走で黒海沿岸を北上する気になったもんの眺めはさっぱり・・・。とりあえず雨の心配はおまへんけどバスか船に乗らんかったことを後悔。

ここらへんもダキア平原でっかいな? しばらくするとハンガリーや旧ユーゴ同等の劣悪な路肩と貧村が現れて、360度地平線の大穀倉地帯は一面小麦の黄土色でおま。ブルガリアとの国境を流れること約470km、その後ルーマニア国内に入ったドナウはさらに川巾を広げ、ドブルジャ山地に囲まれながら次第に北に進路を変えて行きよりまんねん。但し、自転車道マップに載ってるのは、コンスタンツァから黒海沿岸を北上してドナウデルタに至るコースでおま。

なんべんもアップダウンを繰り返しながら辿り着いたのは小村バイア。ガイドマップにはベッドマークが付いてましてんけど、えっらい汚い場所で傍らの鉄道はこれまたど〜やら廃線の様子・・・。17時頃、立ち寄った酒場では陽気なおっさんが話しかけてきてビールをおごったりおごられたり、すぐに親しゅ〜なった彼が紹介してくれたのは雑貨屋の大将が併営するお粗末な宿。折鶴教室も開いて、10時半頃まで飲んで騒いだ後は数人で部屋まで押しかけて警告「夜中にノックされても絶対開けたらあかんで!」

なるほど、夜通しそこらぢゅ〜で野良犬が泣き喚く理由がわかりましたがな、この国では泥棒よけにみんな暗黙の了解で犬を野放しにしてまんねんわ(笑)。しかし、外国人旅行者にも時々吠えかかったりしまっさかい危険この上おまへん。さいな、ガストホフでもペンションでも個人宿でもなし・・・なんでっしゃろなこのボロ宿は? 親切なおっさんの手前値切らんかったもんの、朝食及びシャワートイレ付き20ユーロ(約2320円也)は高過ぎるやおまへんか・・・。漕いだ距離約80km也。(上の絵写真は東欧諸国でなんべんも遭遇した荷馬車)

17 June 2010... Baia >>> Babadag >>> Tulcea
17日目(曇り時々小雨⇒曇り北風強!) バイア⇒ババダグ⇒車でトゥルチャ(川畔高級ホテル泊)

6月17日(木)は朝から小雨・・・、肌寒いので久々にウィンドブレーカとトレパンを着込んで隣の雑貨屋へ。おばはんが邪魔臭そ〜にお粗末な朝食を用意してくれましたが、こんな不衛生で心ないもん食わされたら下痢になってまうっちゅ〜ねん! 友達もでけたこっちゃし連泊を考えたもんのこの宿では遠慮しときまひょ。意外にも蚊には食われまへなんだけど、ハエがてんこ盛りで野良犬はひと晩中吠えまくりやがって・・・。おりょりょ、なんやジメジメしてると思たら洗面の水漏れで床まで濡れてるやおまへんか!

昨日、大将が水道の蛇口を交換するのをど〜も変やとは感じてましてんけど、とにかくこっちの責任にされんうちに大慌てで退散(汗)。いやはや、ルーマニアの田舎の暮らしぶりを垣間見ることがでけましたが、いっぺん最高級ホテルを体験してしまうと安宿には泊まられしまへんわ(笑)。さいな、安宿とゆ〜たかて・・・セルビアではもっと安価で立派なホテルに泊まれたもんでおま。ほんで、黒海沿岸の指定コースはパスして国道22号線を北上、行く手はえっらい大峠でしかも強烈な向かい風やおまへんか。

途中でトラックのおっさんにヒッチハイクを頼んでも断られ、一旦止んだ雨が峠頂手前でパラパラしてきて絶体絶命・・・、雨宿りする場所もないまま次の町まで遠かったのなんの。10時半頃、あ〜しんど・・・も〜あかん・・・幸いそれほど濡れんうちにババダグっちゅ〜町に到着。まず、バスターミナルでは自転車なんか載せたれへんっちゅ〜返答、ほんで駅も線路もあんのにトゥルチャまで行かれへんのはなんでやねん? 向かい風の中をあと30kmも漕がれしまへんさかい、今後の天候によってはここに泊まることも考えながら場末の酒場へ。

黒人系?の優しゅ〜て親切なね〜やんに相談してみたところ、店の"ボス"が10ユーロ(約1160円也)でトゥルチャまで送ってくれることに。13時半リスタート、ボロボロの日本製ワゴン車に、英語を話せる彼の息子も同乗して14時にはトゥルチャの港に到着(距離約30km也)。彼らと別れフェリーのりばで明日の便をチェック、ついでに傍らの最高級ホテルを冷やかしてみたら70ユーロ(約8120円也)! どないしたもんかと考えてると巨乳巨尻のね〜やんが朝食なしバストイレ付き50ユーロ(約5800円也)を提案。

ほなま〜せっかくやからと15時前にチェックイン、5階の広い部屋には風呂もあって眺めも最高やおまへんか(上の絵写真と同等)! その後もっぺん周辺のポタリングに出かけ夕食及び朝食も買い込んで節約。日暮れがせまる21時半頃には夕焼けの晴れ模様、明日はいよいよドナウデルタの船旅やと考えると胸がドキドキ、今旅で体力的に最もしんどかった1日は久しぶりのドナウを眺めながら終止符。漕いだ距離約30km也。(上の絵写真はドナウデルタへの入口トゥルチャの港の夕景)

18 June 2010... Tulcea >>> Sulina
18日目(日本晴れ) トゥルチャ⇒船でスリナ(ホテル泊)

6月18日(金)は日本晴れでスーパーラッピー! フェリーは13時半発の1便だけでっさかい朝風呂にも浸かってゆっくり準備。10時半のチェックアウト時は担当者が違ててひと悶着、やっぱり値切った宿賃はその場で払うよ〜にせなあきまへんな(笑)。ついでに20ユーロ両替、11時前から窓口に並んで切符を購入(7.25ユーロ=約840円也)。余った時間にはすぐ近くの鉄道駅でコンスタンツァやブカレストまで帰れることも確認、ちょびっと贅沢ながら一番便利な場所に泊まって正解でおました。

12時15分によ〜やく船長から自転車持ち込み許可、観光客だけかと思てたらデルタ流域に住む人々もぎょ〜さん乗り込みまんねんな。誰に尋ねても「ドナウデルタはえ〜で! スリナにも宿はおま!」とのことですが、花金だけに着いたらすぐホテルを探さなあきまへん。定刻発、そない慌てんでもよろしおましたけど、階段のある狭い桟橋から船までは荷物を全部外さな自転車を持ち込めまへなんだ。トゥルチャの港には立派なホテルと共産時代のボロアパートが隣り合わせ、こ〜ゆ〜変わった町は他でなかなか観られるもんやおまへん。

2~3階のデッキは好天下でも寒い・・・これまたウィンドブレーカとトレパンが正解、とくに2階のデッキからフェンスを乗り越えて船首に出られる自由度の高さは特筆。これまでのライン川下りや北欧フィヨルド巡りはいずれも期待外れでしたが、360度地平線のドナウデルタだけは別次元やおまへんか! そんでも、スタッフは私をちゃんと探し当てて自転車代1.6ユーロ(約185円也)を請求しよりました(笑)。途中なんべんか湿地帯の集落に寄り道しながら17時過ぎスリナに到着(距離約70km也)。

折鶴をあげたおば〜はんに挨拶した直後「祖母のお礼を!」とゆ〜てきたに〜ちゃん、砂ボコ道を自転車でお粗末な個人宿までご案内・・・。旅行前にバックパッカH嬢から注意されてたのに引っ掛かってしもたやおまへんか。もちろんはっきり断って港通りに戻り、朝食及びシャワートイレ付き30ユーロ(約3480円也)のホテルに18時チェックイン。パスポートの生年月日を信じてくれへん巨乳巨尻のね〜やんには、屋外レストランでビールと魚料理を注文。今宵はお色気むんむんの彼女を誘いたかったのに、おっさん4人で深夜まで飲み歩き(笑)・・・

ルーマニア東部の港町スリナは"太陽の町"と呼ばれ、ドナウが黒海に注ぐことからかつては欧州の入口として栄えましてんな。千年以上も昔、すでにビザンチンの船がここへ帰港してたそ〜ですけど、80年代になってコンスタンツァへの運河開通とともに訪れる船が激減、かつての賑わいをすっかり失〜てしもたっちゅ〜わけだ。それにしても、ウクライナ国境にも近いこの町には独特の雰囲気がおまんねんな。漕いだ距離約3km也。(上の絵写真はドナウデルタ最果ての町スリナ)

19 June 2010... Sulina >>> Tulcea >>> Bucharest
19日目(日本晴れ⇒曇り⇒雨) スリナ⇒船でトゥルチャ⇒車でブカレスト郊外(キャンプ施設泊)

6月19日()、朝食メニューのオムレツだけは聞き取れまっさかい今朝もそれ(笑)。やれやれ、まいどのパターンで朝食代を2重請求しよる・・・ルーマニアでは再三こ〜ゆ〜不手際がおまんねんな。そろそろラテン系人種のえ〜加減さにうんざりしてきましたけど、船を予約したろゆ〜てた巨乳巨尻のね〜やんはどこにおんねん? しょ〜がおまへんさかい、フェリーのりばで尋ねてみると次の便は明朝7時やおまへんか・・・この町に連泊するほどの魅力もなし、大慌てで他の船便を探し回り正午発の高速船に乗れることに(11.25ユーロ=約1305円也)。

街路樹は柳でっしゃろか? 川畔のメインストリートが車の走行禁止っちゅ〜のもよろしおま。おりょ、土曜は銀行が休みでしたさかいホテルで20ユーロを両替、高速船には1時間以上前に乗船したもんの良席はすでに予約済み(涙)。正午定刻発、自転車を縛り付けたデッキには出たらあかんとゆ〜し・・・汚れた窓からはなんにも見えへんし(清掃ぐらいせ〜っちゅ〜ねん!)・・・。じ〜っと座ってたら船酔いしまっさかい、狭い船内をうろうろするうち乗降口から外を眺めるポーランド青年と雑談。

13時半トゥルチャ着(距離約70km也)。ぐえっ、船から自転車を受け取る際にチタンギアを岸石にぶつけてしもたやおまへんか(涙)。辛抱強〜に待っててくれたポーランドの3人組は、私をお茶に誘いブカレストまでワーゲンのワゴン車に乗せてくれることになりました。ところで、ドナウは延々ルーマニアとブルガリアの国境線を流れた後、再び大曲りしながら北上してデルタの入口トゥルチャに至りまんねん。帰路はゆっくりそこらへんを辿りながらブルガリアへ・・・としか考えてまへなんださかい彼らに甘えることに。

うわっ・・・近道するんはえ〜ねんけどガタガタ道の山越えやおまへんか。道中、彼らはカーステレオでポーランド民謡を流してくれたり、停車してトラック上で養蜂する様子を写真撮影したり、途中から病院までヒッチハイクの若い女の子2人を乗せてみたり。しかし・・・止まってくれた車が外国人旅行者で、そん中に貧相な東洋人まで紛れ込んでましたさかい彼女たちは目を白黒(笑)。自転車を持ち込んだ車内は4人が限界で、さらに2人追加してギュ〜ギュ〜詰めっちゅ〜楽し〜ひとときでおました。

途中で1泊する予定が、なかなか安宿が見当たらずエアコンなしの車内は暑い・・・。ホテルでもえ〜やないか? ユーロ成金の私が4人分払うさかいっちゅ〜申し出を彼らは断固拒否。ブカレスト郊外のキャンプ場に着いた頃には雷がゴロゴロ(距離約350km也)、22時チェックインの2人部屋はシャワー付きトイレ共同で25ユーロ(約2900円也)。案の定、巨漢Bの大いびきには弱り果てましたがこりゃま〜得難い交流(笑)、ほんであとの2人はどこに泊まってまんのやろ? 漕いだ距離約1km也。(上の絵写真は欧州最大の湿原地帯ドナウデルタ風景)

ブルガリアについて・・・
面積約11910平方km、人口約740万人。公用語はブルガリア語で、まいどお〜きにはドーバルデン・ブラゴダリャ。通貨は約2Lv=レヴァが1ユーロ(約116円也)。まず6世紀にスラブ人が定住しはじめ、7世紀には中央アジアからトルコ系遊牧民族が加わり混血が進んだのが今日のブルガリア人。バルカン山麓に君臨する彼らは2度にわたって大帝国を建設、7世紀に誕生した第1帝国はビザンチン帝国(東ローマ帝国)に滅ぼされ、12世紀にヴェリコ・タルノヴォを都とする第2帝国として再び繁栄。キリル文字を発明したのもブルガリア人でおま。

14世紀の終わり頃からは500年もの長期に渡ってオスマントルコに支配され、1877年の露土戦争勃発でブルガリアの悲惨な歴史にもよ〜やく終止符。以来、ブルガリアとロシアは親密な関係のよ〜ですけど、第1~2次世界大戦やバルカン戦争を経た今日でも隣接国との領土問題はくすぶり続けてま。ドナウ川は500km近くルーマニアとの国境線を流れるだけでっさかい、ドナウデルタまでの旅を終えてから観光に立ち寄るしかおまへん。ブルガルとは"鋤を持つ人"っちゅ〜意味で、彼らの素朴で誠実な性格は昔から定評がおまんのやそ〜な。

20 June 2010... Bucharest >>> (Border Inspection) >>> Ruse
20日目(曇り⇒晴れ) ブカレスト郊外⇒車でブカレスト市街⇒鉄道でジュルジュ⇒(国境検問)⇒ルセ(川畔高級ホテル泊)

6月20日()、私にとって彼らの親切は値千金、お礼にホテルの4人部屋を借りるぐらい安いもんでしたが、ポーランドの3人組はその提案がひじょ〜不愉快やった様子。とはゆ〜もんの、トンチンカンが常の異人種交流を楽しむ余裕が双方におまっさかい問題なし、友達になれるかど〜かっちゅ〜のはまさにそ〜ゆ〜ことなんかもしれまへんな。ほんで他の2人はキャンプ場の近くに停めた車の中で寝泊まりして体中蚊に食われてるやおまへんか、普段は大男3人車内で寝て施設のシャワーやトイレのみ無断で借用するんやとか(笑)。

面白かったんはベッドの後始末で、私は掛布団をザツにたたんで使たんかど〜かを明確にしときまんねんけど、巨漢Bは図体に似合わずえっらい丁寧に元に戻しとるやおまへんか。さいな、やっぱりヨーロッパではそれが常識なんかいなそ〜かいな、私もあとでそないしょと思てたらでんな・・・、彼のほ〜も私の仕草を真似ておんなじよ〜に直してるやおまへんか(笑)。2人部屋の宿賃は私が払いましてんけど、大男はガンとして受け付けず半分をユーロで返金してきよりました。

リーダーのMがわかりやすい英語で説明してくれたのは「ルーマニア南部は湿度が高いねん!」ど〜も不快指数が高いと感じてたらやっぱりそ〜でっかいな。しかも「数年前に大洪水に見舞われて・・・」ポーランドよりも生活水準が低いのに物価は同レベルなんやそ〜でおま。さて、ブカレスト市内に着いてからは、巨漢Bの友達のルーマニア人夫妻も加えて北駅(中央駅)内で昼食、旦那のほ〜は英語でジョークを連発しまんねんけどさっぱり笑いまへんなポーランドの3人組は(笑)・・・

とくに急いだわけでもないのに、ぎょ〜さんの親切に助けられて20日でブカレストに戻ってしもたやおまへんか。残り10日の大半はブルガリアで過ごすことにして国境の町ジュルジュまでの切符を購入(7.3ユーロ=約845円也)、ず〜っと運転してくれた無口で小柄な(とゆ〜ても私と同体格!)Sもお〜きに。彼らに礼をゆ〜て12時25分発、今回の列車には自転車スペースもおましたけど暑苦し〜・・・14時15分ジュルジュ着(距離約115km也)。こりゃまた侘びし〜駅でんな・・・この町に泊まる気が失せてしもてブルガリアの国境へ。

検問所がわかりにくいうえにおっさんはそのまま進めっちゅ〜わけで、出国スタンプなしでもブルガリアに入国でけまんのかいな(汗)? ドナウで最も長い"友好の橋"は約2.2km也、国境を挟んでジュルジュとルセは長年環境汚染問題で反目してきたんやそ〜で、郊外の橋上から眺める両岸には不気味な原発や化学コンビナートがあってビビりまんな・・・。15時前、検問はブルガリア側で出入国を一括して取り調べるよ〜で、ルーマニア係官の最後のジョークは「ナンバープレート着いてへんやん!」

空は徐々に晴れてきてラッピー、さらに数km漕いでブルガリア第4都市ルセの中心へ。旧市街をゆっくり観光しながら書店でB1全土地図を購入(3.5ユーロ=約405円也)、幸い日曜日でも20ユーロを両替でけましたさかい食料も調達。その後、港のある川畔に出て船便をチェックしたもんのまたもや無駄足で、近くの丘上ホテルに18時チェックイン(朝食及びバストイレ付き27ユーロ=約3130円也)。15階からドナウを眺めながらお風呂にも大満足。漕いだ距離約15km也。(上の絵写真はブルガリア北部国境の町ルセのドナウ川畔)

21 June 2010... Ruse >>> Byala
21日目(
日本晴れ⇒曇り⇒晴れ) ルセ⇒ビャラ(ガストホフ泊)

6月21日(月)「まいど!」はドバルダンがちょびっとだけ訛る「ドーバルデン!」結局ルーマニアの挨拶は習得でけまへなんだ。窓を開けて寝たら15階でもてんこ盛り蚊にやられたやおまへんか。今朝でドナウともお別れでっさかいカメラがないのが残念至極・・・、も〜1泊したいもんの好天のため断念して先へ進むことに。ブカレストに比べても朝の涼しさや洗濯もんの乾きにびっくりでおま。ゆっくり朝風呂にも浸かってから朝食はここでもオムレツ、ちょ〜ど1食分で弁当は作れまへなんだけどレストランのおばはんもこれまた無愛想。

念のため、親切なに〜ちゃんに鉄道駅やバスターミナルの場所を尋ねてから10時過ぎ発、バックパッカH嬢お薦めの古都ヴェリコ・タルノヴォへ向かうことにしまひょ。ポーランドの3人組からも、この国の道路事情を聞〜てましたさかい強引に高速インターチェンジへ侵入。但し、ブルガリアにはアウトバーンクラスの道路は僅かで、まもなく狭い悪い危ない3拍子の国道E85号線に変わってしもたやおまへんか。ルーマニアよりはマシかもしれまへんけど、月曜日は交通量も多く一番タチの悪いのがバスやったりしてビビりまんがな。

雲がムクムク・・・数10km走っても集落なしっちゅ〜のは参りまんな。なんとか漕ぎ進むもんの、無数の起伏を越えてバテバテやおまへんか。14時15分、ヤントラ川にローマ時代?の石橋が架かる美町ビャラに到着。小さい町ながら、複数の丘上を占める赤い屋根の集落がひじょ〜に綺麗。中央広場近くのガストホフに15時チェックイン(朝食なしシャワートイレ付き17ユーロ=約1970円也)。その後もっぺん丘上を散策してバスターミナルでも明日の時間をチェック。漕いだ距離約60km也。(上の絵写真はヒマワリ畑から遠望するバルカン山脈)

22 June 2010... Byala >>> Veliko Tarnovo
22日目(日本晴れ⇒曇り⇒雨) Byala⇒ヴェリコ・タルノヴォ(小ホテル泊)

6月22日(火)は好天下を8時半発、昨日はくたびれ儲けでしたがヴェリコまで頑張って自転車で走りまひょ。さいな、道の両側の並木は何でっしゃろ? 白い小花がぎょ〜さん咲いてものすごえ〜香りがしてま。ほんでから、ハンガリーや旧ユーゴではまだ蕾やったヒマワリもそろそろ開花、緩やかな起伏を繰り返しながら周囲の丘上風景が綺麗。10kmほど走ったところで初めてバルカン山脈が現れたやおまへんか! 今日は時々集落にも出合いますけど、他の国に比べてブルガリアの民家は屋根の形が特徴的でっしゃろか。

峠手前のドライブインレストランで休息、なんや美味そ〜なお菓子? 英語のわかるおっさんも加わって「こいつにひとつ食わしたってんか!」もちろんひじょ〜に美味しゅ〜ございましたさかい1皿注文。外のテーブルはハエだらけでんがな・・・ど〜やら客も女将も大将もみんなトルコ人のよ〜でんなこの店は。話しかけてきたおっさん2人にはコーラをおごり、地図を開いてなんやかんやアドバイスをもらいましたが、なんちゅ〜たかてヴェリコでは38ユーロ(約4410円也)のホテル"ヤントラ"がお薦めとのこと。

昼前からは曇り空、ヘロヘロで漕ぎ上げた峠頂ではヒッチハイカ嬢2人にも遭遇して「20ユーロ(約2320円也)でどない?」「10ユーロ(約1160円也)にまけてんか!」「え〜で!」超お買得でしたけど、残念ながら私の体力が残ってまへなんだ(ほな値切るなアホ!)。貧弱なヤントラ川が何億年もかかって削り込んだ素晴らし〜渓谷美を眺めながら、町の入口の修理屋では今旅初めてチェンに注油(無料)してもらい、13時にヴェリコ・タルノヴォ市街に到着。おりょ、一杯やってるうちにポツポツ小雨が降り始めたやおまへんか・・・

教わったホテル"ヤントラ"はすぐ見つかったもんの、雨で連泊になりそ〜でも〜ひと頑張りして安宿を探すことに。サッカー小僧のボールを取り上げてちょびっとリフティング・・・は石畳の坂道であきまへなんだ(笑)。彼らにも宿を尋ねたら近くのおっさんのところへ、絵描きやっちゅ〜彼は「あいつらジプシーやで!」とい〜つつ丘上のペンションまで案内。しかし、安価ながらも眺めがさっぱりで断念、さらに右往左往して王宮遺跡が眺められる小ホテルに15時45分チェックイン(朝食及びシャワートイレ付き20ユーロ×3=約6960円也)。

その直後から本降りになりましたさかいラッピー、再三の起伏を乗り越えて辿り着いたブルガリアの古都はそんだけの価値てんこ盛り、雄大な渓谷・古代の遺跡・美し〜古都の3拍子揃た場所はそないあるもんやおまへん。小ホテルの巨乳巨尻女将は、最高の眺望が自慢の4階レストランへ開店前に入れてくれましたが、スーパーリッチ気分でビールを飲みながらついうとうと・・・固い床で頭を強打! 居眠りして椅子から転げ落ちてしもたやおまへんか(笑)。夕食は途中で買い込んだ食料で我慢。漕いだ距離約55km也。

23 June 2010... Veliko Tarnovo 23日目(雨) ヴェリコ・タルノヴォ(小ホテル連泊)

6月23日(水)も雨、やや高地で涼し〜せ〜か蚊はいてまへん。今朝もまだ頭が痛い・・・サッカーで鍛えた額で幸い、もし側頭部やったら意識不明になってましたやろし、もし眼鏡をかけてたら失明してるとこやおまへんか。何のバチが当たったか・・・昨日からず〜っと降り続いてまっさかい連泊してゆっくり休養しまひょ。朝食はギリギリの分量、夕食もホテルのレストランでこの国の名物料理ギュヴェチェを注文。平日やのに予約の団体客約30人で満員御礼、壷焼き料理はなかなか美味しゅ〜ございました。漕いだ距離約0km也。

24 June 2010... Veliko Tarnovo 24日目(雨⇒曇り⇒雨) ヴェリコ・タルノヴォ(小ホテル連泊)

6月24日(木)も雨、結局3連泊になりましたが景色のえ〜安宿を選んで大正解、2008年ドナウ流域での失敗がえ〜薬になってまんねんな(笑)。午後には雨も上がりましたさかい、まずは女将に鉄道駅の場所を尋ねてから軽い自転車で市内観光。おりょ? "日本文化センター"っちゅ〜看板を見つけて中へ、バルカン山脈を越えてカザンラクに至る方法を聞きたかったのに日本人は皆無でした。ほんでから、途中でなんべん尋ねてもわかりまへんねんな駅が・・・バイパスのインターに入ってしまうやおまへんか。

散々迷走してたどり着いた駅は只今切符窓口閉鎖中、車掌のおっさんの話ではブルガリアでも自転車は載せられる模様。しかし、荷物を積んでここまで来られしまへんがな・・・。その後は市内の中心に戻って50ユーロ両替とバスターミナル探し、べちゃらくちゃら話しかけてきたのは来日経験のあるおば〜はん、一緒にタクシーを冷やかしてくれて100km近い道のりを40ユーロ(約4640円也)に値切り倒し。元第2ブルガリア帝国の都は日本の京都に匹敵、周囲を細いヤントラ川がぐにゃぐにゃに湾曲して取り巻いてまんねんな。

最後はツァレヴェツの丘にある王宮遺跡(無料)を徒歩で散策、ドナウ流域から黒海、アドリア海やエーゲ海までを支配したこの大帝国は、当時の神聖ローマ帝国をはるかに凌いだんやそ〜でおま。ホテルの女将は彼方の山頂村も薦めてくれましたが天候が心配で断念、たぶん山頂からは古都全体が展望でけましたやろさかいひじょ〜に残念。食料を買い込んでホテルに戻った頃にはまた雨、なんと・・・日本はデンマークに3対1で圧勝したやおまへんか! 漕いだ距離約5km也。(上の絵写真はヤントラ川に抱かれた古都ヴェリコ・タルノヴォと王宮遺跡)

25 June 2010... Veliko Tarnovo >>> Shipka >>> Kazanlak >>> Gabarevo
25日目(曇り) ヴェリコ・タルノヴォ⇒タクシーでシプカ峠を越えてカザンラク⇒ガバレヴォ(ペンション泊)

6月25日(金)には雨も上がり9時発。4枚に分けたメモ用紙もいよいよ最後の1枚、これまでで最も充実した旅ですけどまだいっぺんもお祭りに遭遇でけず、ナマの民族音楽も皆目聴けてまへん。阪急交通社の豆ガイドに"カザンラクのバラ祭り"が載ってましたさかい、途中バルカン山脈の要衝シプカ峠(標高約1328m也)を越えて辿り着くことにしまひょ。ちなみに、シプカは野バラっちゅ〜意味でおま。しかし、観光案内所で教わったバスターミナルはえっらい遠いやおまへんか! 大峠を避けて通る鉄道も諦めてタクシーのりばへ。

昨日の運ちゃんはいてまへなんださかい再交渉、粘っても40ユーロ(約4640円也)以下には値切れまへなんだ(涙)。ちょびっと大きめのプチワゴンい〜まんのか? 自転車はそのまま寝かせて持ち込んで私は助手席へ。シプカ峠は想像を絶する大峠でしたが、頂上付近の上の絵写真の場所で休息してくれましたさかい飲み物をサービス。私には上り下りとも無理でっけどヒルクライム&ダウンヒルマニアにはお薦めだ(笑)。残念ながら、ぐんにゃんぐんにょんの狭い道路は樹木に覆われて周囲の展望はほとんど無理でおました。

正午前に無事到着。おりょりょ、超贅沢な訪れ方をしたカザンラクは、今月上旬に有名なバラ祭りが終わってしもたんやそ〜で一喜一憂(笑)。ど〜やらこの町には嫌われたよ〜で観光案内所を探すだけで1時間、ほんまは中央広場の一角におましてんけど"I"看板はなし英語の"インフォメーション"も通じず難儀。親切なおばはんが市内マップをくれたもんのバラ祭り以外見どころもなし、山脈を遠望でけそ〜なホテルもなし・・・っちゅ〜わけで、あとはバルカン山麓を200km以上西走して首都ソフィアに向かうしかおまへん。

鉄道と車道はソフィアまで並走してまんねんけど、ここんとこ運動不足でっさかいひと雨来そ〜な曇天下を一目散。国道6号線は今までより広く良質、バルカン山脈は最高峰でも2376m也ですけど、麓からの眺めはけっこ〜雄大で冬の雪化粧もさぞかし見事でっしゃろ。15時、雑貨屋とトトカルチョの店も兼ねる道端の酒場で小休止「お前日本人か? 昨日は勝ったやんけ!」の声も(笑)。ガバレヴォは例のルーマニアの貧村に似て悪い予感がしましたけど、教わったペンション(朝食なしシャワートイレ付き15ユーロ=約1740円也)にチェックイン。

ホテルなんかどこにあんねん? っちゅ〜感じでしたが、中庭や部屋はこの村に不似合いなほどおしゃれでしたやおまへんか。そこでは飲まんと、軽い自転車で村内を散策中には小学生10人位とも交流、見事な山景を堪能した後は埃が舞う中央広場の酒場で折鶴教室を開きながら飲食。英語も話す中年の女将と大将とは意気投合して「日本も半世紀以上アメリカの奴隷やけどブルガリアは500年もトルコに・・・」っちゅ〜よ〜な与太話も。漕いだ距離約25km也。(上の絵写真はバルカン山脈シプカ峠の休息所から見上げるブルガリア解放記念塔)

26 June 2010... Gabarevo >>> Kalofer >>> Karlovo >>> Sofia
26日目(晴れ⇒曇り南西風強) ガバレヴォ⇒カロフェル⇒カルロヴォ⇒鉄道でソフィア(中央駅前ホテル泊)

6月26日()は久々の好天下を8時45分発、やっぱり野良犬も徘徊してますけど騒々しさはルーマニアほどやおまへなんだ。ほんでなんちゅ〜ても山脈が綺麗! ここからの道路は舗装出来立てホヤホヤっちゅ〜感じでますます快適、やがて起伏の多い山間部に入り10時15分に美町カロフェル着。はいな、ここがちょ〜どバルカン最高峰の登山口にもあたるよ〜で、有名な山岳リゾート地っちゅ〜わけでっしゃろか。そないゆ〜たら、ルセのホテルのに〜ちゃんもバルカン山麓には美町がてんこ盛りやとゆ〜てましたわ。

あと25km気張ってここに泊まったらその後がスムーズでしたけど、ま〜昨日は昨日でひじょ〜に楽しおましたし・・・。おりょりょ、いつのまにやら空半分曇ってしもたやおまへんか! 大慌てでリスタートして峠頂まで漕ぎ上げたらその後は長い長い下り坂。方向が逆で幸い、時々果樹園も見かけますしこの国のガソリンスタンドにはバーもおまんねんな。完全に曇ってしもた正午にはやや大きな町カルロヴォに到着、ここもまた山岳リゾートですけど観光案内所がどこやら誰に尋ねてもわかれへん・・・

相性の悪い町に長居は無用、鉄道でソフィアまで行ってしまいまひょ。そろそろ運にも見放されたよ〜で、南端の駅に着いた途端ボロボロの首都行きが発車・・・。時間つぶしにもっぺん中央広場周辺を観光してみたもんの滞在する気にはなりまへなんだ。16時半発(自転車込み4.35ユーロ=約505円也)、徐々に山脈が遠ざかり平野が増えた沿線には共産主義時代の大規模な廃墟がてんこ盛り。20時ソフィア着(距離約150km也)、駅に最も近いホテル(朝食及びバストイレ付き60ユーロ×2=約13920円也)にチェックイン。漕いだ距離約35km也。

27 June 2010... Sofia 27日目(雨降ったり止んだり) ソフィア(中央駅前ホテル連泊)

6月27日()は朝から雨やおまへんか・・・昨日駅前タクシーの運ちゃんに市内ホテルの相場を教わって、連泊も覚悟してたもんのやっぱり60ユーロはキツ〜おま! 朝風呂にもゆっくり浸かりながら、真向かいの貧相なホステルにしといたらよかったとちょびっとだけ後悔(笑)。結局今旅ではいっぺんもホステルを利用してまへんけど、たぶん鉄道2等車の劣悪な環境とバランスが取れるかもしれまへん。朝食は久々のビュッフェスタイルでしたさかい弁当作り、正午には雨も止んで道が乾いた14時頃から市内観光にお出かけ。

宗教建築物に興味のない私は、市街を自転車で流してもあんまり楽しめまへなんだ。但し、もし好天やったら、南へ約70kmの山岳地帯にある世界遺産"リラの僧院"を訪れたかもしれまへん。露土戦争で死んだ20万人のロシア兵士を弔う大寺院の傍らでビールを一杯。その後は中央駅まで戻って20ユーロを両替、ついでに国際線の切符売り場を探してたところ、通りがかりの女性が案内と通訳をしてくれましたさかいお礼に折鶴。ホテルに帰った頃からまた雨。漕いだ距離約5km也。(上の絵写真はソフィアのシンボルのアレクサンダル・ネフスキー寺院)

28 June 2010... Sofia >>> Ruse(Border Inspection) >>> Bucharest
28日目(曇り時々晴れ⇒雨) ソフィア⇒(ルセで国境検問を含む鉄道旅)⇒ブカレスト(北駅前ホテル泊)

6月28日(月)は7時45分チェックアウト、朝食は手持ちの余り物で我慢してレストランでは弁当を2人前準備(笑)。残念ながら下旬は天候に恵まれず中途半端な旅になってしまいましたが、万一に備えて予定より早めに鉄道でルーマニアのブカレストまで戻ることにしまひょ。昨日下見したおかげで、スムーズに切符(20.5ユーロ=約2378円也)は買えたもんのどのホームか皆目わかれへん・・・今旅最も感謝すべきは困った時にすぐ誰かが助けてくれたことで、ここでも鉄道員の大男がホームまで案内して車掌に自転車のことも伝えてくれました。

この中央駅がまたたいへんで、荷物を外してエスカレータを下り荷物を取りに戻ってからもっぺんホームまで担ぎ上げ・・・。定刻9時5分発、申し訳程度の自転車置き場にはず〜っと傍らに座ってなあきまへん。ソフィア東端を流れるイスカル川はバルカン山脈の大渓谷を形成しており、そのスケールはドナウ川カザン渓谷を凌ぎまっさかいこりゃ超お買い得! 山脈通過後は徐々に視界が開けて、雄大な丘陵風景に変わり一面黄色のヒマワリ畑が綺麗。曇り時々晴れの天候で、エアコンなし窓は開かずの2等車は暑苦しゅ〜て地獄でおま。

途中の大きな都市はプレヴェンのみでしたが、往路に1泊したヤントラ川畔の美町ビャラにも停車、古都ヴェリコに至る渓谷の入口も遠望でけて、ここらへんからルセまでは懐かし〜道のりでしたやおまへんか。たった2両の車内にはバックパッカも数人、わっ私に国境検問についての質問なんかせんといてんか(笑)! なんと、アルゼンチン青年は1年間の世界一周旅行なんやそ〜で羨まし〜限りでおま。車掌のおっさんは、自転車代の5ユーロ(約580円也)を半額にまけてくれて「ビールおごってんか!」

15時半ルセ着、国境の町に再泊してドナウに別れを告げるかど〜か最後まで迷いましたが、明朝が雨やったらまたひと苦労せなあきまへんさかいここは安全策、鉄道での国境検問(1時間弱)を初体験した後はドナウに架かる"友好の橋"からルーマニアを再訪。往路は自転車で渡りましたけど下側が鉄橋になってましてんな、大型航行船のために中央部分が跳ね上げ式になってまんのやそ〜な。360度地平線の大平原に突入した頃からは激し〜雨、首都近郊の不毛地帯には石油(或いは水?)汲み出しポンプがてんこ盛りでしたやおまへんか。

30分以上遅れて19時にブカレスト着、約500km也の首都間大移動は幸運にも乗り換えなしでしたが、劣悪な環境での10時間に及ぶ鉄道旅には疲労困憊。構内で晩飯を仕入れるつもりが、終盤は気が抜けてしもたかブルガリア通貨を拒否されてよ〜やく納得。20ユーロを両替して買物後は前泊した駅前ホテルに直行、ついて来たアルゼンチン青年(もちろん値段を聞〜て退散!)に交渉ペースを狂わされて、受付のイケズなね〜やんはお粗末な部屋しかくれまへなんだ(朝食及びシャワートイレ付き30ユーロ×2=約6960円也)。漕いだ距離約0.5km也。

29 June 2010... Bucharest 29日目(曇り時々晴れ) ブカレスト(北駅前ホテル連泊)

6月29日(火)、最悪明日午前中に、ブカレストに戻ってもOKでしたさかい丸1日余ってしまいましてんな。梅雨のよ〜な蒸し暑さ・・・昨夜は蚊との戦いでそこらぢゅ〜を血に染めてしもたやおまへんか。おまけに犬や猫がひと晩中気狂いのよ〜に泣き喚〜て・・・ここはほんまに国家の首都かいな? 今朝は怖い顔のおっさんが私を憶えてくれてましたさかい、文句をゆ〜て眺めのえ〜最上5階にルームチェンジ。11時半から軽い自転車で市内観光、中央のヴィクトリア通りを北上すると凱旋門、ここらへんには自転車レーンも整備されてまんねんな。

ほんで市街北端には立派な●川(ひょっとして湖?)と大規模な森林公園が! この都市を流れるのは貧相なドゥンボビツァ川だけかいなと思てましたら・・・こんだけ立派な環境は日本にもおまへんでたぶん。かつてバルカンの小パリと呼ばれたんはこのあたりでっしゃろか? 川畔か湖畔の自転車道を数kmのんびり周回後、阪急交通社の豆ガイドに載ってた農村博物館をじっくり見学(1.5ユーロ=約175円也)。ヘラストラウ公園内に17世紀末から19世紀のルーマニアの農村家屋を再現しており、屋外博物館としては欧州最大規模なんやそ〜でおま。

最後はもっぺんヴィクトリア通りを南下して、革命広場、統一広場、国民の館、チシミジュウ公園などを周回。残念ながら、帰りにもぜひ連絡せ〜とゆ〜てくれた老夫婦の住所はどっかに紛れ込んでしもて再会でけまへなんだ。ついでに北駅(中央駅)にも立ち寄って、空港までの鉄道やバス路線について教わり、タクシーも冷やかして17時頃ホテルに帰着。さらに徒歩で駅前のガラの悪い公園まで行き、ビールを飲みながら得体の知れん連中とも交流(笑)。漕いだ距離約10km也。(上の絵写真は野良犬が徘徊するブカレスト市内)

30 June~1 Joly 2010... Bucharest >>> Bucharest Airport >>> Istanbul Airport >>> Osaka Airport
30~31日目(曇り時々雨⇒曇り⇒曇り) ブカレスト⇒ブカレスト空港⇒イスタンブール乗継ぎ⇒関西空港⇒帰宅

6月30日(水)~7月1日(木)も雨・・・そやから駅前ホテルに限りま! 手荷物からは金具を取り出して日本円も準備、正午ギリギリにチェックアウトしてプチワゴンのタクシーで空港へ。不覚にも10ユーロの値切り交渉は不成立、メータど〜り15ユーロ(約1740円也)ぼったくられたやおまへんか! こ〜ゆ〜場合には送迎バスのあるホテルを選ぶべきでしてんな(笑)。距離は20数kmでしたが雨が降ったり止んだり、鉄道は直行してへんしバスもどれやらわかりにく〜て、自転車でバイパスを走るのは危険なためこ〜ゆ〜判断に。

12時30分着で時間はぎょ〜さん余ってしまいましたが、なんにもなさそ〜な空港周辺を散策する気分にもなりまへなんだ。また次の機会、午前中出発便やったら空港での寝泊まりにもチャレンジしてみまひょ。ブカレスト・オトペニ空港はカートも無料、数人の警官が巡回して安全清潔でおました。隅っこでゆっくりゆっくり作業して15時15分自転車収納完了。さらに時間をつぶして17時半チェックイン、眼鏡美人のね〜やんは大荷物受付まで案内してくれましたが請求なし。20kg以下のわけおまへんし・・・彼女の好意と受け止めまひょ(笑)。

空港はコンパクトでわかりやすいもんの、2回も搭乗ゲート変更に振り回されながら20分遅れの19時40分離陸。イスタンブールには20時40分着、3時間のはずがさらに30分待たされて0時20分に離陸。ANAとの共同便でしたがスタッフは全員トルコ人、機内は気の毒なほどガラガラで4席を自由にでけたやおまへんか! 関空着日本時間17時ちょ〜ど、この国の鉄道は自転車をそのまま載せてくれまへんねんな・・・っちゅ〜わけでまいどこれからが最後の大仕事、なんば行きバスには断られて、南海電車で地獄の輪行・・・漕いだ距離約1km也。

蛇足ながら・・・
やれやれ、とりあえず書いてみましたが連日エピソードがてんこ盛り・・・、ま〜そんだけ今旅が充実してた証拠ですけど、まだこれから半減どころか4分の1ぐらいまで減らさな読んでもらわれしまへん(笑)。ところで、毎日僅かな距離を漕いで、安宿探しに奔走する自転車旅には今までず〜っと疑問でしたさかい、ユーロ成金?の今回は東欧諸国の物価安にも助けられて"BikePack"スタイルに切り換えてみましてん。自転車は単なる台車やと認識しなおすだけで、バックパック旅行よりもはるかに行動半径が広がるかもしれまへん。

参考にしたのは加藤雅彦氏の"ドナウ河紀行"(岩波新書'91)、内容は自転車とは無関係のドナウ世界の歴史書でんねん。東欧諸国もここんとこ資本主義の経済効率を追い求めるあまり、水路や鉄道が次々廃線に追いやられてしもてたのは残念至極、共産主義のあらゆる面が悪いわけやないねんなと痛感させられたもんでおま。流域を辿るだけでぎょ〜さんの国々を訪れることがでけますが、ドイツとオ−ストリア以外は言語も通貨も異なりまっさかいちょびっと厄介かもしれまへん。

第2次世界大戦中、ハンガリー、旧ユーゴ、ルーマニア、ブルガリアはいずれも日・独・伊の3国同盟に加担してましてんな。そのせ〜かど〜か、東欧諸国では「どないしてん? 何困ってんねん? どこ行くねん?」とみんな親切にしてくれたやおまへんか。散々やった前旅の反省から、訪問する国や人々に対して敬意を払うことを忘れず、相手を信じて疑わんことがよかったんかもしれまへん。私の場合は、自転車をどんだけ漕いで何を観たかよりも、異国の人々とのトンチンカンな交流のほ〜が思い出に残ってまんねんわ(笑)。

無神経で知恵遅れの私でも、さすがに今旅の旧共産圏ドナウ世界には震え上がりましたんやろか? 前半は体がダル〜てなんぞ病気かいなと思うほどでしたし、持病の膝痛や腰痛は回を重ねる毎に悪化の一途、おまけに右肩のネジが緩んだせ〜か痛みを伴う痺れには参りました。さいな、他人に何と言われよ〜が、人生気力体力が残ってるうちにやりたいことをやるしかおまへん。折鶴は今旅でも大好評でしたし、不安要素てんこ盛りやった体調も徐々に回復、1ケ月間快眠快便を維持することがでけてスーパーラッピー!

上の絵写真は、ドナウデルタからの帰路のべ2日お世話になったポーランド青年らと私。ブカレスト北駅近くの駐車場で自転車を降ろした時の記念撮影、リュックは常に背負てるわけやおまへんでこれから前荷台にくくりつけまんねんわ。リーダーのMと撮影者のBは、173cmの私と背丈が10cmも違う巨漢、小柄に見える運転手のSでさえ普通の日本人とおんなじ体格でおま。前輪を外した自転車を横方向に収納でける大型ワゴン車で、3人組は車内に寝泊まりしながら欧州のあっちゃこっちゃを駆け巡ってまんねんな。

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